部活雑感~今更ながら部室ができました

ひさしぶりに大学に顔を出した。クラブ時代の後輩たちと集まったときに後輩が言ったことが発端だった。「大学にクラブボックスが設置されうちにも部室が出来た」とのことだった。我々の専門課程の校舎は他学部から離れたところにあったので部活用の部室が無かった。それが最近出来たようなのだ。数年前の改革で独立法人となった我が母校だが、それに伴い教官などの削減が行なわれたりし、予算は緊縮方向に進んでいると思っていただけに今回の措置は意外だった。深夜に学校に行き、案内板を見てそれらしき方向に進む。すると仮設住宅か郊外のカラオケボックスのようなたたずまいのプレハブが現れた。
部室には深夜なので当然誰もいない。広さは15~6畳というところか。けっこう広い。電源も取れるし、エアコンのダクト孔もある。鍵なんかは電子制御の暗証番号だ。一応壁もしっかしており、家具があれば住めそうな感じだ。水道トイレは屋外にある。風呂は大学の近くに銭湯がある。私が学生の頃なら住みつく奴がきっといたと思う。
これも大学の生徒確保の一環なのかもしれない。いわゆる学食しかなかったわたしたちの時代には大学生相手の定食屋さんがたくさんあり、風呂・水道共同のアパートが大学付近にはいっぱいあった。いっぱいあるということはいっぱい学生がそういう生活をしていたということだ。だが現在の学生はそんなとこに生活する人はかなり減ったようだ。学生でいっぱいだった定食屋もすっかり店が減り、大学にはおしゃれなカフェテリアが出来た。
国立大学でもそれぐらい様変わりする。私立などはもっと凄いのであろうと想像する。浪人の頃法政大学の学食に紛れ込んで安いご飯を食べたが、おそらく今はそんなものは無いだろう。それどころか大学図書館で自習することも出来ないかもしれない。それほど大学自体のセキュリティーも厳しくなっているのだろう。事実クラブボックスには監視カメラが回っている。OBでさえ現役部員無しでは以前のように簡単に出入りは出来にくくなっているのが現状だ。

大学・院まで併せて10年その街で過ごした。私にとっての20世紀最後の10年の想い出はほぼ全てこの街が壁紙である。当時高価だった8mmビデオで撮った画像を、年末に手に入れた8mmビデオデッキで再生してみる。学生の頃・院の頃、部員だった頃の自分・OBとして関わった自分、懐かしい画像である。楽しい想い出・辛い想い出、様々なものが詰まっている。
大学を訪れる前に連絡の着かない先輩のところに寄る。数年前困っておられる様子だったので少し援助させていただいた。だけどそれから連絡が無い。仕事場に寄るともう電気は消えていた。だがまだそこにはおられるようだったので少し安心。また連絡を取ろうと思う。部で一番お世話になった先輩だ。我が部がはじめて3位入賞したとき部長である私にいろいろ助けてくださった方だ。この件に関しては連絡するよりいただきたい方ではあるのだが。
今回の集まりの主旨は、トラブルで部に顔を出せなくなっていた後輩OBと会うことである。たいへんなトラブルだったが幸い元気でいるようだ。また周囲のバックアップもあり、なんとか再起できそうなことに一安心。朝晩の神棚に向かうお祈りの言葉がひとつ少なくなったことに安堵する。
彼が守ってくれている我が部も転機に差し掛かっている。この先どうなるのかわからない。せっかく部室を手に入れたのにすぐ消滅するかもしれない。だが私がそうであったように彼らにもたくさんの思い出を残して欲しいと思う。そしてそれを次の世代に残せればと願う。部室の存在は想い出をより深めてくれるだろう。この春に新入部員が入ってこの部室をにぎやかにしてくれればと思う。
正直この部室が20年前にあればと羨ましく思う。もっともいつもの私の論調なら事業仕分けに入る無駄遣いっていいたくなる代物だろう。だがどなたの主張が通ったのかこんなものが出来ていた。必要だなんて思わない。だからこの先、取り壊しとなっても別に仕方ないと思う。だがこのツールがある間、部員たちがより深い想い出を持ってくれればと願う。そしてその部への思いを通じて私たちOBと現役部員はつながっていたい。それが先輩たちへの私たちの感謝であり、後輩へ伝授することだと思っている。私もその役目の一端を果たしたいと思う。

10年以上の時が経ち、変わらないように見える街中の景色もディテールは変化している。看板の名前が変わっていくように。同じように部もディテールは変化していくだろう。だが全体像は変わらないで欲しい。部というひとつの思い出を接着剤に出来ればと願う。

"部活雑感~今更ながら部室ができました" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント